読み物 - キーワード 「春」

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2010 年 3 月 7 日 (日)

岩座神の絵日記 2010年3月7日

桜の苗木を植える

絵日記 2010-03-07 桜の苗木を植える

春の宮普請。

朝から雨が降って、肌寒い日だった。

絵日記 2010-03-07 桜の苗木を植える

お寺から千本杉へと行く林道。

軽トラック(等)で登ってきて、林道脇の山に入って、作業をする。

絵日記 2010-03-07 桜の苗木を植える

桜の苗木を植えた周りに杭を打っているところ。

絵日記 2010-03-07 桜の苗木を植える

緑色の金網は、苗木を鹿から守るためである。

これで一つ完了。

絵日記 2010-03-07 桜の苗木を植える

作業は午前11時で終了。全部で10本の苗木を植えた。

宮普請なので、夕方5時から、公会堂で慰労会。

*

なお、僕はこの日は欠席した。写真は「管理人さん」。

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2008 年 3 月 9 日 (日)

岩座神の絵日記 2008年3月9日

春の宮普請

絵日記 2008-03-09 春の宮普請

岩座神では、年に二度、春と秋に、氏神である五霊神社の社殿や境内を整備するための日が設けられていて、「宮普請(みやぶしん)」と呼ばれている。今日が春の宮普請である。

宮普請と言いながら、御当人(おとうにん、宮当番)以外は山に入って枝打ちや間伐をしたりする事もある。と言うか、その方が一般的である。

今日は、午前中はお宮さんの境内の整備。

写真は、伐り落したホソバタブの大枝を片付けているところだ。

五霊神社の境内には、県の天然記念物に指定されたホソバタブの大木が3本あるのだが、いくつかの太い枝や幹の中が空洞になっていて、強い風が吹くと(あるいは何もしなくても)折れて落ちる心配があった。

お宮さんの境内は、棚田オーナー行事でもよく使う場所なので、安全のために、少し前に専門家に依頼して、危険性が大きい大枝を伐り落して貰ったのである。費用は50万円だったそうだ。

この他、車止めのチェーンを設置したりした。

絵日記 2008-03-09 春の宮普請

午後、いくつかの班に分れて、木造の橋にクレオソートを塗ったり、欄干のペンキを塗り替えたりする。

我が班は、岩座神の入口に立っている歓迎大看板の塗り替えである。

外枠部分と裏側はクレオソートを塗る。内側部分は、文字以外は、茶色の木工用ペイントである。

絵日記 2008-03-09 春の宮普請

看板の文字の部分は水性のアクリル・ペイント。

「棚田と」はミント・グリーンの純色。

「七不思議の里」はレッドとイエローとグリーンを適当に混ぜた色である。数人ですったもんだの議論をしながら色を決めた結果、こうなった。僕はレッドの純色を推奨したのだが、通らなかった。

「岩座神」は、写真では白に見えるが、クリームの純色である。

絵日記 2008-03-09 春の宮普請

化粧直しが済んだ歓迎大看板である。

四時前に作業を終了して、一旦、全員帰宅。五時半に再度集合して、村で行う葬儀の取り決めについて協議をする。そして、その後、宮普請恒例の慰労会。

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2007 年 9 月 2 日 (日)

岩座神の絵日記 2007年9月2日

防災訓練

絵日記 2007-09-02 防災訓練

今日は、町内で一斉に防災訓練が行われた。

朝8時にサイレンが鳴って、村中のものが公会堂に集った。

消防団の指導で、消火栓を使った初期消火の訓練をする。こういうのに慣れていない人こそ、ということで、女の人に操作をやってもらう。男たちは若いときに消防団に入っていたから、まあ、大丈夫だろうと言うことだ。

写真は、消火栓のコックをひねって放水を開始しようとしているところ。

絵日記 2007-09-02 防災訓練

こちらは筒先。

鹿柵点検

絵日記 2007-09-02 宮普請・鹿柵点検

防災訓練は1時間ぐらいで終って、その後、男たちは宮普請(みやぶしん)の日役(ひやく)で、鹿柵の点検補修をする。

鹿柵(害獣防止柵)の点検は、毎年、春と秋の二回行っている。

ここ二三年、周囲の山から猪の姿が消えたような感じだ。そのため、柵の下部がめくりあげられているような個所はほとんど無い。

絵日記 2007-09-02 宮普請・鹿柵点検

いつだったか、数人のおばさんたちと話をしたときの事だった。一人のおばさんがしみじみと言った。

「わたしら、町の方で住みたい思うときがあるわあ」

「ふうん、何で?」

「いやあ、いっぺんで良えさかい、鹿や狸が出て来やへん所で畑を作りたい」

という事で大笑いした。

この鹿柵のおかげで随分ましになっている。けれど、この夏にも、植えていた豆をきれいに鹿に食べられてしまった畑があった。

午後、草刈りの仕事があったのだが、カメラが故障して、写真を撮りそこねた。

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2006 年 6 月 4 日 (日)

岩座神の絵日記 2006年6月4日

宮普請

絵日記 2006-06-04 宮普請

宮普請というのは、お宮さんの保守作業で、毎年、春と秋の二回行われる。

今年は、3月12日に春の宮普請が予定されていた(岩座神の予定表 2006年版を参照のこと)のだが、雨で流れた。予備の日も次々に雨で流れたり、他の予定が入っていたりで、とうとう、今日になってしまった訳だ。2006-02-01 岩座神の予定表 2006年版

絵日記 2006-06-04 宮普請

宮普請と言っても、お宮さんに関係の無い仕事をする場合も多い。村山の下草刈りとか、枝打ちとか、害獣柵の点検とか。(ただし、その場合でも、お当人だけは神社の掃除をする。また、夕方は、少し早めに仕事をおわって、宴会をするのが恒例だ。)

今日は、お宮さん(五霊神社)の参道と境内を、土を入れて補修する作業を行った。

朝の8時から始めて、たっぷり、夕方まで働いた。へとへとである。

夕方の酒宴は無し。3月12日に宴会だけは済ませていたのである。がちょーん(古っ)。

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2006 年 4 月 23 日 (日)

岩座神の絵日記 2006年4月23日

絵日記 2006-04-19 桜

クラインガルテンの管理人であるえむ氏から桜の写真を送ってもらった。

今年の桜は、開花時期も遅かったが、花が咲いている期間がとても長いようだ。ぱっと咲いてぱっと散る、というのでは全然なくて、のんびりと咲いている。

これは、4月19日(水)に撮ったもの。

まだ満開ではない。

絵日記 2006-04-20 桜

これは、4月20日(木)に撮ったもの。

遠目でよく分らないが、やっと満開か。

ん? 上の写真のと同じ木らしいね、これ。

絵日記 2006-04-23 桜

最後は4月23日。

場所は、岩座神でも一番標高の高い所、クラインガルテンからほんの少し下りたあたり。赤い屋根は加古川漁業協同組合の「岩座神ロッジ」だ。

「まだ当分散りそうにありません」とのこと。

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2006 年 2 月 4 日 (土)

岩座神の絵日記 2006年2月4日

神様の正月(立春)

2006年 立春の日

今日は立春の日。

ここ数日、暖かい日が続いていたのだが、昨日(節分)の夕方から少し雪が降った。

絵日記 2006-02-04 立春の日 - 神さんの正月の寿美

岩座神では、立春の日に「神様の正月」を祝う。

と言っても、五霊神社の御当人(おとうにん)でなければ、特に何をする訳でもない。昔は、各家でも神様の正月を祝っていたが、そういう風習はどこの家でも廃れてしまった。

朝の八時から準備にかかる。

冬場の仕事は、何は置いても、火を焚くことから始めるのが岩座神流だ。

(人間の)正月と同じように松を立てたり、注連飾を付けたり、境内を掃除したり、神前に餅と酒を供えたりする。

絵日記 2006-02-04 立春の日 - 神さんの正月

準備が出来たのが十時頃。

放っておくと誰も参拝に来ない。まあ、神様の正月というものは、その程度の行事になってしまっている訳だ。

たかひろさんが携帯電話で招集をかけて、半分強制的に参拝者を集めた。

焚火と酒と肴で参拝者をもてなす。めざしと餅を焚火で焼いたのが好評だった。

絵日記 2006-02-04 立春の日 - 神さんの正月

小一時間ばかり、うだうだと語る。火を囲んで飮み食いするというのは良いもんだな。

昼頃には天気もよくなってきた。ときおり木に積った雪が風に舞って、ちょっと綺麗だった。

千ヶ峰遠景

絵日記 2006-02-04 立春の日 - 千ヶ峰遠景

午後、「岩座神のカレンダー 平成十八年度版(2006年度版)」の編集会議があった。

岩座神棚田保全推進協議会は一昨年からカレンダーを作っている。これは、一月から始って十二月で終る普通のやつじゃなくて、四月から始って三月で終る年度カレンダーになっている。だから、今からでも間に合うのである。

この千ヶ峰の遠景は、そのカレンダーとは直接の関係はないが、編集長の依頼で町の方へ用事で出たときに撮ったもの。

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2006 年 1 月 22 日 (日)

岩座神の絵日記 2006年1月22日

ソバ打ち大会

絵日記 2006-01-22 蕎麦打ち大会 - 準備

恒例のソバ打ち大会。

朝 8:00 から準備に取りかかる。

講師である蕎麦打ち名人お二人は、一般の参加者よりもかなり早めにやって来て、ウォーミング・アップかたがた、スタッフの昼食用の蕎麦を打ってくれる。

無駄のない綺麗な動作を見ていると、時間が経つのを忘れてしまう。

絵日記 2006-01-22 蕎麦打ち大会 - 実演と講義

10:00 からソバ打ち大会が始る。

最初は、講師による手本の実演と講義。

この方たちは、ある棚田オーナーの仲間で、最初はソバ打ち大会の参加者として来てくれたのだったかな。何か、そんな記憶がある。アマチュアではあるが、腕が一流であることはすぐに判った。持参の道具(こね鉢や麺切り庖丁など)からして、まるで違っていた。講師をやって貰おう、という事になって、今では、毎回、スタッフとしてソバ打ち大会を手伝ってもらっている。

絵日記 2006-01-22 蕎麦打ち大会 - さあ、やってみよう

ソバ打ち大会は、毎年度の棚田オーナー行事の最後のイベントである。

毎年、春に始る棚田オーナー行事は、秋の収穫祭で一段落するのだが、冬の行事として、年末の餅つき大会と新春のソバ打ち大会を行っている。

ただし、冬の行事は、どちらも、参加者はほぼ半数ぐらいに減る。少し残念な気もするが、反面、餅つきもソバ打ちも、ある程度以上の人数になると、少ない数の道具と狭い場所では間に合わなくなる心配もあるので、これぐらいで良いのかも知れない。

絵日記 2006-01-22 蕎麦打ち大会 - 釜場

打ち終った組から、公会堂の裏手に出てきて、蕎麦をゆがき、暖かい汁を掛けて、その場で食する。

ちょっと寒いが、公会堂の中ではまだ別の組が蕎麦を打っているので、外で食べて貰うしかない。

後に見えるテントは、臨時の食堂だ。一昨年までは吹きさらしだったから、これでも、ましになったのである。

今年は、どの組も、良い蕎麦が打てたようで、大いに満足しておられた。

絵日記 2006-01-22 蕎麦打ち大会 - スタッフ昼食

すべての組が蕎麦を打って、食べ終り、大会が済んでから、やっと、スタッフの昼食の時間になる。

朝のうちに講師の名人たちが打っておいてくれた蕎麦をみんなで食べる。美味いんだな、これが。満足しました。

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2005 年 12 月 31 日 (土)

岩座神の絵日記 2005年12月31日

五霊神社の迎春準備

絵日記 2005-12-31 霊神社迎春準備

朝の八時から、三人の御当人(おとうにん)で、岩座神のお宮さん、五霊神社の迎春準備をする。

先日の雪が境内にはまだ残っている。

何はともあれ、まずは焚火をして、コーヒーを飲み、うだうだ言いながら、気息を整える。

絵日記 2005-12-31  五霊神社迎春準備

仕事は、外回り(境内と参道)の掃除、本殿と拝殿の掃除、松と注連縄、供物の準備など。

鍵当(かぎとう)であるよしはるさんが、本殿と拝殿の掃除と供物の準備をする。

たかひろさんと僕とで、外回りの掃除をする。

外回りの掃除は、半分以上は雪除けの仕事になった。参道もかなりの部分に雪が残っていたのである。境内は雪が深かったので、人の通り道を空けるのがやっとだった。

一時間に一回ぐらい休憩をする。写真はたしか三回目の休憩で、めざしを焼いて食いながら、紙コップで燗酒を飲んでいる。

絵日記 2005-12-31  五霊神社迎春準備

松を立てたり、注連縄を張ったりは三人でやる。

昼食を挟んで、午後二時頃までかかって、五霊神社の迎春準備は何とか全部片付いた。

その後、広峯(ひろみね)さんの参道とお社を掃除する。

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1997 年 7 月 1 日 (火)

棚田オーナー制度

1997年5月 岩座神

岩座神は「日本の棚田百選」にも選ばれた棚田の村です。

1997年から岩座神では「棚田オーナー制度」が始まりました。

「棚田」とはどんなものか、「棚田オーナー制度」とはどういうものか、ちょっと見ていって下さい。

※ 以下は、主として1997年に作成し、1998年、1999年、2002年に若干の加筆を行ったものです。

棚田オーナー制度とは

まじめに農業に取り組み、自然とふれあう勇気を持ち、地域になじめる方または家族に、単に米作りを楽しむだけでなく、美しい景観を誇る岩座神地区をみんなで守っていくことに積極的に協力してもらうために始められた。1区画100平方mで10区画を募集した。会費は5万円。

「加美町への想い」「志望動機」「自己アピール」などの作文を含む申し込みアンケートを書類選考し、10組が選ばれた。

  • 特典として
    • 一から十までプロの指導を受けて低農薬栽培の米作りが体験でき、収穫した米は全部持ち帰ることができる。
    • 加美町の宿泊施設が安く利用できる。
    • 加美町の特産品がもらえる(1万円相当)など。
  • オーナーの義務は
    • 田んぼに入って米を作る。
    • 自然とまじめにつきあう。
    • 地域の人たちになじみ、仲良くする。
    • 地区の美しい景観を守るため、美化活動に積極的に参加する。
    • 田植え、ヒエ引き、月2回の草刈り、刈り取り、稲木などは自分でやること(田すき、田ごしらえ、普段の水管理、消毒、施肥、脱穀、乾燥、もみすりなどは農家が行う)など。

『広報かみ』1997年6月号より

そもそも、棚田(たなだ)とは、どんなものか

1994年7月 夏の棚田

こんなもんです。写真を見てもらうと一番よくわかる。山肌を切り開いて作られた「段々畑」のような田んぼです。

岩座神には、大小あわせて465枚の棚田があります。

そして、全国棚田サミットに参加した木原博さんの話によると、「岩座神の棚田みたいに石垣がシャキッとして奇麗なやつは珍しいんじゃ」という事です。石垣の高さは平均 2 m、高いところで 5 m。石の組み方などから見て、鎌倉時代にさかのぼるそうです。

ところが、そういう自慢話だけで済むわけでなくて、、、

棚田の農業はしんどい

さすがに、岩座神の棚田とはいえ、今ではほとんどの農作業に機械を使います。それでも、平地の圃場(ほじょう)整備された大きな田んぼにくらべれば、その作業効率の悪さは明白でしょう。大きな機械が使えませんから。

おまけに、山の中のこと、夜中になると、イノシシもシカもタヌキもキツネも出て来る。出て来て、協力はしてくれない。田んぼや畑に入って、作物を食い荒らしていく。動物たちの苦境も知らないわけではないけれど、やっぱり、だめ、困ります。

なぜ、棚田を守りたいのか

1997年5月 岩座神

棚田の価値として、

  • 自然と共存した風景としての棚田の景観がすばらしい
  • 棚田には治水などの面で環境保全効果がある

というようなことも言われています。だから、守る必要があるんだ、という議論ですね。

農家としては、

  • 先祖から受け継いだ田んぼを自分の代で荒らしたくない

という理屈抜きの気持ちも根強くあります。

何よりも、人が住んで生活していく限りは、周囲の環境を手入れの行き届いた状態にしておきたいというのが、ごく当然の願いなのだろうと思います。かつて田んぼであったところが耕作放棄されて山林に呑み込まれ、美しかった石垣が無残にこわれていく様子を見、ゆっくりと村が廃れて行くのを予感することは、現にその地に住んでいる者にとっては、なんとも言えない嫌な気分ですから。

だれか手伝ってくれないだろうか

という訳で、「棚田オーナー制度」が始まったという次第です。

制度の導入については、1995年、高知県檮原町で開かれた「全国棚田サミット」に参加し、全国で始めてオーナー制度を導入した現地の棚田を見学したことが、きっかけになったようです。

このページの最初に掲げたような規約でオーナーを募集したのが、1997年の2月中旬でした。問い合わせの数だけでも、総数200件にのぼり、最終的に応募してきた人は81組にもなったそうです。

これは面白い

棚田オーナーの看板に名前を記入
田植えを指導

5月11日にオーナー田の田植え祭りが行われました。

村中、ほぼ総動員で田植えの指導や手伝いをしたり、ご飯を作ったりしました。(木原も、100人分ぐらいの焼きそばを作ったんですぜ。)

皮肉な見方をすれば、「手伝ってもらわない方が、手間もかからず効率も良いんじゃないの」ということになりそうです。それは、その通りで、田植え機を使えば一人で2時間ぐらいで済むところを、総勢100人ぐらいが半日かけてやってるんだから、純粋な作業効率だけを見れば、何をやってるのかという話になります。

歌を楽しむ棚田オーナー

ところが、面白かったんですよ、これが。

田んぼに入って泥だらけになって田植えをしたオーナー達も面白かったようだけれど、それ以上に、祭りの準備や世話をした岩座神の住人は、誰に聞いても、「面白かった」と言っています。

岩座神とその自然環境に価値を認めてくれる人が居ること、そして、棚田で農作業をしたいという人が居ること、これは思いがけない嬉しい発見でした。そして、そういう人たちと交流することは、何にもまして、岩座神を活気付けてくれるものでした。

二年目、三年目

1998年5月

二年目の1998年、オーナーの数が20組に増えた。

去年は、最初の年でもあり、まぁ、とにかくやってみよう、という感じだった。採算が合うかどうかよりも、人が来てくれること自体が大切だと、村のみんなが考えていた。いわば、お祭りだ。楽しければ良かった。

今年も、基本的には同じ事なのだけれど、いくらか冷静になって、お互いの利害関係をしっかりと調整しなければならないと考えるようになった。あ、僕が考えているわけではない。のーてんきな僕は、田植え祭りで焼きそばを焼いて、楽しかったと思っているだけ。村の役員さんたちは、この制度を長続きするものにするために、都会のオーナー(借り手)、村の貸し主、村全体の誰もが納得できるような仕組み・方法を作り上げなければならないと考えているらしい。

「来年は30組だ」という積極的な意見もあるが、おおかたは、「20組ぐらいが限度かな」という意見のようだ。

1999年7月

三年目の1999年、オーナーの数は20組のまま。

何組か、オーナーの入れ替わりがあった。最初の年からオーナーを続けている人たちも多い。田植えをするお父さんの背中に負われていた赤ん坊が、今では田圃の中で泥遊びをしたりしている。

去年までは棚田オーナー制度のために町から補助金が出ていたが、今年からはもう出ないのだそうだ。岩座神の棚田オーナー制度は順調に軌道に乗りそうな感じだ。

書籍

日本の棚田 - 保全への取組み

  • 著者:中島 峰広
  • 出版社:古今書院
  • 1999年2月5日発行 240ページ A5判 \3,200

目次

  • 棚田の起源とその用語
  • 棚田についての先行研究
  • 棚田の分布と地形との関係
  • 棚田の形態と特質
  • 棚田の灌漑施設と水利慣行
  • 棚田の機能
  • 棚田の耕作放棄
  • 棚田の保全
  • 棚田保全への取組み
  • 保全方法の比較と検討
  • 棚田オーナー制の展開
  • 棚田オーナー制についての比較検討とその評価

オーナーの一人である箕面市の田中さんから、「こんな本がありますよ」と教えていただきました。

まだ木原は読んでいないのですが、棚田についてまじめに勉強するつもりなら、ちょうど良い出発点になるのでないかと思います。

棚田オーナー制については、高知県檮原町をはじめとする先進地の事例が中心になっていて、岩座神も名前だけは出てくるそうです。

2000年 - 2002年

2000年 - 2002年

岩座神の棚田オーナー制度は、今のところ、順調に運営されている。

棚田オーナー制度をきっかけとして、岩座神の村の様子は、ここ2-3年の間に、非常に大きく変化した。

岩座神は、農村地区としては珍しく「景観形成地区」としての指定を受けた。

また、補助金を得て、生活道および農道や用水路を整備することが出来た。今年度には、田の畦の整備も予定されている。

さらに、今年の春には、滞在型市民農園施設「クラインガルテン岩座神」というものがオープンした。

そして、岩座神は、いつの間にか、棚田の先進地域としてけっこう有名になり、いろんな所から視察者が訪れるようになった。

棚田オーナー・アンケート

西脇農業改良普及センターが、1997年、1998年、1999年に棚田オーナーだった人たちに対して、アンケート調査をして、その結果を 2001年1月に発表している。

非常に面白いので、是非、読んでいただきたい。

2001-04-01 岩座神棚田オーナー・アンケート結果

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