2007 年 8 月 24 日 (金)
岩座神の絵日記 2007年8月24日
蕎麦の発芽
クラインガルテンの管理人さんがメールで写真を送ってくれた。
一昨日、22日の午後から、一斉に蕎麦が芽を出したそうだ。
写真は今日の午後2時。クラインガルテンの田圃。
発芽した蕎麦のクローズアップ。
2007 年 8 月 24 日 (金)
クラインガルテンの管理人さんがメールで写真を送ってくれた。
一昨日、22日の午後から、一斉に蕎麦が芽を出したそうだ。
写真は今日の午後2時。クラインガルテンの田圃。
発芽した蕎麦のクローズアップ。
2007 年 9 月 2 日 (日)
今日は、町内で一斉に防災訓練が行われた。
朝8時にサイレンが鳴って、村中のものが公会堂に集った。
消防団の指導で、消火栓を使った初期消火の訓練をする。こういうのに慣れていない人こそ、ということで、女の人に操作をやってもらう。男たちは若いときに消防団に入っていたから、まあ、大丈夫だろうと言うことだ。
写真は、消火栓のコックをひねって放水を開始しようとしているところ。
こちらは筒先。
防災訓練は1時間ぐらいで終って、その後、男たちは宮普請(みやぶしん)の日役(ひやく)で、鹿柵の点検補修をする。
鹿柵(害獣防止柵)の点検は、毎年、春と秋の二回行っている。
ここ二三年、周囲の山から猪の姿が消えたような感じだ。そのため、柵の下部がめくりあげられているような個所はほとんど無い。
いつだったか、数人のおばさんたちと話をしたときの事だった。一人のおばさんがしみじみと言った。
「わたしら、町の方で住みたい思うときがあるわあ」
「ふうん、何で?」
「いやあ、いっぺんで良えさかい、鹿や狸が出て来やへん所で畑を作りたい」
という事で大笑いした。
この鹿柵のおかげで随分ましになっている。けれど、この夏にも、植えていた豆をきれいに鹿に食べられてしまった畑があった。
午後、草刈りの仕事があったのだが、カメラが故障して、写真を撮りそこねた。
2007 年 9 月 16 日 (日)
蕎麦の花が咲き始めた。
これはクライン・ガルテンの田圃。
管理人さんがメールで写真を送ってくれた。
撮影は昨日だと思う。
こちらは、うちの田圃。今日の撮影。
クローズアップ。
五分咲きぐらい。つぼみもまだ沢山残っている
今週末ぐらいが満開かな。
2007 年 9 月 24 日 (月) 振替休日
稲が少しまだ青いような気がするが、許容範囲だということで、年間行事予定どおり、棚田オーナーの稲刈りを行った。
參加する方もスタッフの方も、秋は何かと予定が詰まっている人が多いから、予定を変更することはなかなか難しい。
鋸鎌(のこぎりがま)を使って、手で刈る。
刈った稲は、稲木(いなき)に掛けて、天日干しにする。
稲木に掛けた後でも稲の成熟が進むので、コンバインで刈ってその場で脱穀するのより、米が旨くなるそうだ。
一方、こちらは、棚田の集いで販売する焼きそばをスタッフが準備しているところ。
鉄板焼きの屋台は、今年も山野部(やまのべ)部落から借りてきた。
まぜご飯は公会堂で準備している。
この他にも、町の交流協会が臼と杵を持ち込んで、ワラビ餅の実演販売を行ってくれたり、隣村の棚釜(たなかま)のMさんが、ポン菓子と綿菓子の実演無料配付を行ってくれたりした。
棚田の集いのコンサートで、トリを務めてくれる「アンジェラ」の皆さん。今回は、音響の設備もお世話して頂いた。
音響の設営が終り、リハーサルも済んで、公会堂で昼食をとろうとしているところ。
稲刈りが終ったオーナーさんたちは、棚田の集いの会場(と言っても田圃です)に集って、昼食をとる。
このあたりから、ちょっと空模様があやしくなってきた。
この仮設ステージは、総アルミ製の軽くて丈夫なやつで、なかなか使い勝手がよろしい。町の備品を借りてきたものだ。
雨が降ってきたので、急遽、ステージ上にテントを張った。このテントも借り物。
写真は、しゅう君、あおいちゃん、だいき君、おおたさんによる多可町音頭。
棚田の集いは、最初は、岩座神の行事ではなく、町の企画課が主催する「棚田コンサート」だった。
音響設備を設営したり、棚田の歌のコンクールをして出演者を募ったり、その審査員として坂庭省吾さんを呼んできたり、棚田の歌のCDを作ったり、その運営と費用は、全面的に町が面倒を見てくれていた。
数年前、町からの予算が無くなったとき、棚田コンサートはこれで終りにしようという意見もあったのだが、小さな地味なものでも良いから自力で続けてみようということになった。
以前に比べて予算は格段に少ないけれども、棚田オーナーの人たちや、アマチュアのバンドの人たちや、いろんな人たちに支えられて、けっこう楽しいコンサートである。
相合い傘。
鄙には希な垢抜けした佳人たちとは思いませんか、御同輩。
一人、変な小父さんが雑じっているが、これは、アンジェラが呼んできてくれた、もう一つのアマチュアバンドの面々と、司会のお姉さん(進行表を持っている人)だ。
考えてみると、この司会のお姉さんが棚田の集いのスタッフで唯一のプロなんだな。「棚田コンサート」のころから、毎年、お世話になっています。
大阪から来ているオーナーのいとうさんたちによる、韓国の農村の伝統舞踊。
数種類の太鼓と鉦(かね)や銅鑼(どら)を打ちながら踊る。
見ごたえ、聴きごたえがあります。
毎度のことながら、夕方から夜まで、スタッフの反省会。
2007 年 10 月 6 日 (土)
岩座神では、長い間、体育の日が秋祭、その前の日が秋祭の宵宮だった。
休日の仕組みが変ってからは、体育の日の前の日曜日が秋祭、その前の土曜日が宵宮である。
それで今日は宵宮なのだが、朝から村中の男が出て、秋祭の準備をする。
写真は、五霊神社に御神灯を掛けているところ。
曳山車(ひきやま)の玉垣を竹と檜葉(ひば)で作っているところ。
玉垣は毎年新調しなくてはならない。けっこう時間がかかる作業だ。
飾付けが終った曳山車(ひきやま)。
今年は、御幣も新調した。
準備が出来たお宮さんの参道。
橋の石段に曳山車(ひきやま)のための「あゆみ」が渡してある。
午後三時過ぎに準備が完了した。
それぞれ、家に帰って、帰省してきた親戚や招いた知人と一緒に秋祭の御馳走を食べて、そして、八時前になると、お宮さんのふもとの公会堂の所に集ってくる。
曳山車(ひきやま)庫のところで福引きをやっている。
八時過ぎから曳山車(ひきやま)をお宮さんにあげる。
今年は参道をコンクリートで綺麗に整備したので、楽にあがる筈なのだが、それでも結構きつかった。
写真は、随神門(ずいじんもん)の所まで、やっと登ってきて、一休みしているところ。
このあと、宮入(みやいり)をして、餅撒き(もちまき)が行われる。
餅撒きの写真を撮ったら良いのだが、毎度の事ながら、そんな事をしている余裕は無いのだ。
2007 年 10 月 10 日 (水)
今年もまた、医薬品会社のアストラゼネカの人たちが『高齢化する村を応援するプロジェクト』で岩座神にやってきてくれた。
この日、全社員約3000人がまるごと普段の仕事を休んで、全国50ヵ所の農村でボランティア活動をする。(留守居役の人も少しはいるらしい。)
去年は11月1日、約120人が来て、草刈りの仕事をしてくれた。
2006-11-01 岩座神の絵日記 2006年11月1日
今年は約60人だが、人数が減ったのは、活動地域が40から50に増えたためだろう。
写真は、準備体操をしているところ。ラジオ体操じゃなく、AZ体操(アストラゼネカ体操)だと思う。
この場所が作業をしてもらう所(の一部)。
このような棚田と山との境の斜面をきれいにしてもらおう、という予定。
こういう斜面を「かっぺき」と呼んでいるのだが、「活壁」ということなのかな、よく知りません。
笹や竹が生い茂っているが、本当なら、楽に刈れる一年生の草だけが生えているべき所だ。
作業中の写真。
主として男の人たちが笹や竹を切って、女の人たちがそれを運んで片付ける、という分担で作業を進めた。
鎌で手を怪我して、病院で手当てを受けた人もいた。なかなかきつい作業だったと思う。
上の写真と同じ所なので、「かっぺき」が本来のあるべき姿を取り戻しつつあるのがよく分ると思う。
少し違う角度からだが、作業が終った後の、同じ場所の写真。ずいぶん綺麗になった。
おっと、「かっぺき」だとばかり思っていた所から、かなり背の高い石垣が出て来た。
この石垣から向こう側に、かつては、牛を放し飼いにするための草の斜面が広がっていたそうだ。
作業後の交流会(昼食会)。鶏肉と牛肉のバーベキュー、ビール、日本酒、その他。費用はアストラゼネカの負担で、準備は岩座神の役員と婦人会がした。
残念ながら、平日のことなので、今回も僕は現場に居合わせることが出来なかった。しかし、話がはずんで、「花婿募集中です」と言って名刺をおいて帰った人がいたとか、岩座神の婦人会の誰かが「そのASTRAZENECAのTシャツ良えなあ。くれ」とおねだりした(誰や?)とか、とても楽しかったようだ。
アストラゼネカの従業員の人たちも、同じ職場ではあっても、普段はなかなか一緒に飲み食いして語り合う機会が無く、この日をとても楽しみにしているそうだ。
アストラゼネカ プレスリリース 「高齢化する村を応援するプロジェクト」
2007 年 10 月 14 日 (日)
棚田オーナーの脱穀作業と収穫祭は、今年は10月8日の体育の日に予定されていたのだが、雨で延期され、10月14日に実施することになった。
参加できなかったオーナーも何組かあったし、参加したオーナーも全体として人数が少なめだった。オーナーの人たちも、岩座神のスタッフも、秋は予定が立て込んでいるから、出来れば、予定通りの日にやりたいものだ。農作業が天候によって左右されるのは、当り前と言えば当り前なので、仕方が無いのだが。
写真は、天日干した稲を稲木から降して、コンバインで脱穀しているところ。
コンバインというのは、稲刈り機と脱穀機と藁切り機が一体化(combined)されているところから、そう呼ばれている。ここでは、稲刈り機の部分は停止させて、脱穀機と藁切り機だけを動かしている訳だ。
棚田オーナーの脱穀作業と並行して、マンネン草の植え付け作業が神戸大学生のボランティアと岩座神の年長者の手で行われる。
中央、えび茶のセーターを着ているのは、久しぶりに「里帰り」してくれた篠原君。
脱穀作業とマンネン草の植え付けの作業が終ると、収穫祭が始まる。
棚田の集いのコンサートのような派手な行事はない。岩座神の新米で作ったおにぎりと豚汁を食べて、のんびりと収穫を祝う。
「岩座神の新米」と言っても、棚田オーナーの田圃とは別の田圃で出来た米だ。棚田オーナーの田圃の米は、今日脱穀したばかりで、まだ玄米にもなっていない。おにぎりは、真白いプレーンなやつと、葉わさび漬(これも岩座神産)を混ぜ込んだ青いやつの二種類。旨いで。
今年は、去年とは違って、車を運転する人は飲まないでくださいという趣旨の張り紙を出した上で、アルコール類を提供した。酒を飲むのが悪いのではなくて、酒を飲んで運転するのが悪いのだ、ということだ。
天気は良いし、おなかも大きくなったし、気持ち良く昼寝する人もちらほらと見える。
今年の案山子コンテストの投票結果は以下の通り。
賞 | 区画 | かかし | 賞品 |
---|---|---|---|
一等賞 | C-4 | 竹とんぼ | 岩座神の米(白米) 20 kg |
二等賞 | D-3 | えちぜんくらげ | 15 kg |
三等賞 | C-3 | おじさん | 10 kg |
2007-07-22 案山子のポートレート 2007
なお、今年から、脱穀した籾をその日に籾摺りして玄米を棚田オーナーに持って帰ってもらう、という去年までのやりかたを改めた。今日、脱穀した籾は、乾燥状態を確認した上で、岩座神のスタッフが籾摺りを行い、一週間後に玄米を棚田オーナーに引き渡す。
このように方式を改めるに至った理由については、去年の収穫祭の絵日記を参照して欲しい。岩座神の絵日記 2006年10月9日 (続き)
2007 年 10 月 20 日 (土)
神戸市勤労会館で、人文地理学会の公開セミナーがあった。
「文化的景観の意義と保全」というテーマのもと、下記のプログラムで講演と報告が行われた。
報告4が僕である。
場違いな所に紛れ込んでしまった。断れば良かった、と、ちょっと思った。
しかし、縁が広がりそうなことは、何でもかんでも、辞退せずに引き受けて、とにかくやってみるというのが、岩座神の流儀なのである。棚田オーナー制度を始めて以来、この11年間、そうやって来た。
最近は、セミナーや会議に報告者として招かれることも多くなった。先日(10月15日)も、福井県で行われた「美(うま)し近畿」景観セミナーに、棚田保全推進協議会から二人が事例報告者として参加している。いつの間にか、岩座神は「棚田」の先進地、成功事例として扱われるようになってしまったのである。
そんな訳で、まあ、何とかなるわい、と思って引き受けた。
写真は、五十嵐先生の報告、「棚田景観の保全・活用と文化的景観」。
五十嵐先生は佐賀県唐津市相知町の蕨野(わらびの)の棚田に深く関わっておられる方で、非常に興味深い話を聞くことが出来た。
棚田の現場を良く知り、具体的なノウハウも豊富に持っておられるので、是非一度、岩座神にお迎えするか、こちらから佐賀に出向いて、ゆっくりとお話を伺いたいと思った。
津川先生。僕が報告をするというので、セミナーに来てくださった。
全体討論の時に、岩座神の棚田について、先生の研究の一端を紹介して、応援してくださった。
「文化的景観」というものについては、金田(きんだ)先生が、基調講演で、分りやすく見通しの良い基本的な枠組みを提示してくださった。
最初、僕は、こういう「文化的景観」という概念には、そこに生活する者の視点が欠けているのでないかと思っていた。つまり、「日本の原風景」を見て感傷にひたりたい都会の知識人や、綺麗な風景や「素朴な人々」を写真に収めたいアマチュア・カメラマンのような、田舎の生活環境を外から眺めて楽しみたい人たちの発想だと思っていた。
そういう面がまったく無いとは、今も、思っていない。
しかし、五十嵐先生もそうだが、金田先生も、「文化的景観」の現場の生活を非常に良く理解しておられる。住民と行政、あるいは住民同士の間に入って、意見のとりまとめをしたり、利害調整を行ったり、さらには村興しのコンサルタントまでしたりして、学者とは思えない泥臭い仕事を沢山こなしておられる。その姿勢は非常に現実的であり、住民の生活を無視しては文化的景観の保全が有り得ないという事を明言しておられる。
文化的景観については、文化庁のページや Wikipedia にも記述があるが、残念ながら、あまり明快だとは思えない。次の文書(PDF)の冒頭で金田先生が述べておられる部分が、少し長いが理解しやすいと思う。一読することをお奨めする。 『文化的景観の意義と活用方策について』
僕の報告は、棚田オーナー制度の活動を中心に、岩座神の一年間を写真で紹介するものにした。謂わば、この「絵日記」の縮刷版だ。
最初は、棚田オーナー制度を開始してからの11年間を年表形式にまとめて発表しようか、とも思った。そのために、区長さんの日誌(『岩座神行事日誌』)を借りてきて、過去にさかのぼって、何があったかを調べかけもした。しかし、その試みは簡単に挫折した。11年間の区長日誌の分量ときたら、半端じゃないのである。棚田とか村作りとかに限っても、取り上げるべき事柄が多すぎる。これを整理して纏めるのは短時日では無理だと諦めた。
かと言って、文化的景観の保全と棚田オーナー制度との関係について、何か理論的に講釈できるかと言うと、そんな事はとうてい出来る訳がない。だいたい、主催者も、そんな事を期待してはいないだろう。
結局、岩座神の住民の「棚田」や「景観」に関わる活動をなるべく具体的に紹介するのが一番良いと思い、この「絵日記」の2006年分から抜粋して、岩座神の一年間をパワーポイントの原稿に纏めることにした。(締切りに迫られたという事情もある。)
表題を「景観保全は生活闘争だ!」と付けた。
棚田オーナー制度の活動は、棚田を守るための活動ではあるが、棚田という資産によって岩座神の生活を守るための活動でもある。楽しいけれども、生活闘争としての面を大いに持ったものなのだ。
報告の配付資料 - 『景観保全は生活闘争だ!』
2007 年 10 月 21 日 (日)
蕎麦が実った。
今年はよく出来ている。茎も太くて長い。
蕎麦の実のクローズアップ。
菱形で、断面は三角形。昔あった牛乳のテトラパックの形にも似ている。
大規模な蕎麦の産地だと、汎用のコンバインを使って収穫するのだろう。
例えば、こんなやつ。ISEKI 汎用コンバイン HC350
岩座神ではそんな事は無理だ。
蕎麦を草刈り機で刈り倒す。
このまま、一週間ぐらい放置して、茎から水分が抜けるのを待ってから、スレッシャー(脱穀機)にかけて、実を収穫する。
2007 年 10 月 28 日 (日)
木曜日と金曜日に降った雨で蕎麦がよく濡れたため、昨日(土曜日)は、蕎麦の脱穀作業を中止した。
という次第で、本来なら二日目の今日が一日目になった。
写真は、朝の8時40分。
8時から作業を始めているのだが、何となく、のんびりした雰囲気がただよっている。実は、まだ、蕎麦がべとべとに濡れていて、本格的な作業が出来ないのだ。
ちなみに、この写真に見えているあたりの石垣が、おそらく、岩座神の棚田で一番見事な石垣だ。
9時20分。前の写真と同じ田圃を上から写したところ。
全然、作業が捗っていない。
まだ、蕎麦が濡れていて、スレッシャー(脱穀機)に掛けることが出来ない。
「こんな事、やっとられへんのお」とか文句を言いながら、みんな、手で蕎麦を一本一本拾い集めている。
(岩座神に限らず)中高年は我慢強いのである。
スレッシャーで脱穀する事が出来始めたのは、10時半ぐらいだったかな。
そのころ、棚田オーナーさんも、3組、手伝いに来てくれた。
昼食をはさんで、作業再開。写真は、1時20分。
スレッシャーは2台あるのだ。
クラインガルテンのK先生と子供たちも手伝いに来てくれた。
3時50分。休憩中。もう既にかなり疲れている。
この後、10分ぐらいで、日が西の山に沈んだ。
あと一力(ひとちから)仕事をしたら、今日はもう終りだな。
5時ごろに作業を終った。全体の三分の一程度しか済んでいないのだが、やむを得ない。
いつものように、公会堂の裏手で、鶏肉のバーベキューとビールで慰労会。
写真は5時25分なのだが、既に暗くなっている。
2007 年 10 月 30 日 (火)
今日は、蕎麦の脱穀作業の三日目である。
つまり、一昨日(日曜日)が一日目で、昨日(月曜日)が二日目だ。
平日なのに誰が作業をするのか、と言うと、村で自営業を営んでいる者とか、何とか会社を休むことが出来る者とか、写真のような若い老人たちとかだ。
ええと、どこまでが「若い」老人かというと、農作業が出来る限りは若い老人です。
落穂拾いのように見えるかも知れないが、草の間に刈り倒されている蕎麦を手で掻き集めて、脱穀の準備をしているところだ。
今日はスレッシャー2台で作業をした。
昨日は、人数が少なくて、1台だけしか動かすことが出来なかったそうだ。
5時に作業を終った。全部、終った。やれやれ。
今日は公会堂の中で慰労会。ホットプレートで、肉や野菜を焼く。
2007 年 11 月 18 日 (日)
約三週間にわたって送風だけで乾燥させてきた蕎麦の実を選別して出荷する。
スレッシャで脱穀して乾燥機に入れた蕎麦の実は、蕎麦の茎や雑草がいっぱい混じっている。
そういう大きなゴミを、最初に手作業で篩(ふるい)にかけて取り除く。そして、唐箕(とうみ)にかけて、細かいゴミや入りの悪い実を風で吹き飛ばす。最後に、選別機にかけて砂や小石を取り除き、計量して袋に詰める。
一番手前に見えるのが選別機。これは、かつて米の選別に使われていたものだ。今年は二つ使った。
これは唐箕の選別口から蕎麦の実が出てきているところ。
この唐箕も昔は米の選別に使われていたもので、手で羽根を回して風を起すものだ。今は、モーターで羽根を回すように改造してある。
写真には撮っていないが、暗い倉庫の中では、数人が篩を持って手作業で荒選別をしている。
埃(ほこり)が舞い立つので、マスクをしていないと、鼻の中が真っ黒けになる。
このあたりの説明は、去年とほとんど同じだ。
2006-11-18 岩座神の絵日記 2006年11月18日
もうちょっと工夫しないと、この絵日記もマンネリになって、書くのが面白くなくなるなあ。
午後、二手に分れて、「水路点検」と「農道点検」(だったかな)をする。
実を言うと、そんなもんは普段から各自でやっているので、改めてやる必要はない。今日やるのは、そういう点検をしました、という「証拠写真」を撮る作業だ。
こら、ピース・サインなんか出しちゃいかん。
という事で、撮り直し。
はい、よろしい。
ここ最近、行政(町)が、何かというと、事業計画書を出せ、だの、結果報告書を提出しろ、だの、非常にうるさい。これも何かの報告書に添付する写真なのである。
兵庫県の財政難は本当にひどい状態らしい。だから、補助金が無駄使いされないようにしよう、という意図は理解できる。しかし、馬鹿馬鹿しい形式だけの手間を増やしても、実効性は担保できないんじゃありませんか。いや、面倒くささに負けて補助金申請が減るのを期待していますか?