[2006-10-09] 棚田オーナー脱穀・籾摺り・収穫祭
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イベント
この日の記事
岩座神の絵日記 2006年10月9日
棚田オーナー収穫祭
朝から雲一つ無い晴天だった。空気が澄み切っていて、遠くまで鮮やかな景色がくっきりと見えて、非常に気持ちが良い。
朝八時から棚田オーナー収穫祭の準備にかかる。
朝九時半ごろからオーナーが集ってきて、十時に挨拶をして、それぞれの田圃に分かれて、作業を開始する。
これは、稲木(いなき)にかけて天日干しにしていた稲をコンバインで脱穀しているところだ。
脱穀して籾(もみ)になった米は、二ヶ所に集約して、籾摺り(もみすり)機にかける。
この作業はあまり人手が多くても意味がないし、機械を使う仕事でもあるので、スタッフが主になって行う。
普通、コンバインで稲刈りと同時に脱穀をした場合は、籾の水分が多いので、一旦、乾燥機に入れて、一昼夜ぐらいかけて水分を飛ばす。そうしてから、籾摺りを行う。
手で刈って、稲木で干したオーナー田の稲は、脱穀後、乾燥機を通さずに籾摺りを行っている。籾の水分が少し多いのだが、まあ、大丈夫だろう、ということで、これまでずっとそうしてきた。
棚田オーナーの収穫作業と並行して、神戸大学のボランティア学生と村の老人たちによって、マンネン草の植え付け作業が行われる。
7月23日にポリポットに插し芽して育てたものを、石垣の石と石の間に、へばり付かせるように植えていく。
これは棚田オーナーの行事ではないのだが、毎年、同じ日にやっている。
収穫祭の昼食は、毎年、豚汁とおにぎりだ。
おにぎりは、今年穫れた岩座神の米(こしひかり)を炊いて握ったもので、白いのと、山葵の葉の塩漬けを混ぜ込んだのと、二種類ある。
写真は、豚汁に味噌を溶いて、最後の味付けをしているところ。
作業が終ったところから、だんだんと人が集まってくる。みんなで収穫を祝って食べよう、ということで、仕事が終って全員がそろうのを待つことにしている。
しかし、毎度のことだが、どうしても籾摺りの作業が遅れがちになる。腹が減ったなー、まだかなー、と思う。
十二時半ごろから昼食。
実は、まだ籾摺りの作業が完全には終っていなかった。籾の水分が多すぎて、籾摺り機の中で詰ってしまうトラブルが発生していた。かなり遅くなりそうだから、スタッフ以外は先に昼食を始めてもらおう、ということになった。
会場は、棚田の集いを行ったのと同じ田圃だ。
食事の後、案山子コンテストの投票を行う。
棚田オーナーも、ボランティア学生も、村の老人たちも、スタッフも、一人一票を投じる。
ちょっと集計に手間取った。
今年度の案山子コンテストの結果、入賞した案山子は次の通りだ。
賞 | 区画 | かかし | 賞品 |
---|---|---|---|
一等賞 | A-2 | はばたん | 岩座神の米(白米) 20 kg |
二等賞 | D-4 | こうのとり | 15 kg |
三等賞 | D-2 | あんぱんマン | 10 kg |
努力賞 | F(B-3) | 稲ばうぁー | 10 kg |
一時半ごろ、案山子コンテストの表彰式も終り、みんなで会場を片付けた。
そして、今年収穫したオーナー田の米(玄米46kg)をオーナーに引き渡して、流れ解散になったのが二時頃だった。
やれやれ、終った、と思ったら、終っていなかった。続きがあるのである。
岩座神の絵日記 2006年10月9日 (続き)
棚田オーナー収穫祭(続き)
収穫祭が終って、棚田オーナーたちも三々五々帰って行った後の、午後二時半ごろの公会堂の裏手。
これは「反省会」ではない。スタッフの昼食だ。
籾摺り作業が手間取ったために、行事の進行を優先した結果、この時間になってしまった。
もうひとつ、この写真には缶ビールが写っていないことに注目して欲しい。
この収穫祭には、ビールや酒を出さなかった。先日の稲刈り・棚田の集いの時には、「運転する人には売りません」という貼紙をして、ビールや酒を販売したのだが、今回は、アルコール類を一切出さなかった。
スタッフの間では、酒を出すべきだという意見も多かった……酒を飲むことは悪くない、酒を飲んで車を運転することが悪い。酒を飲むことが出来る人には酒を出してあげたい。飲酒を強要する訳ではない、「運転する人は飲むな」と言っている。相手は大人だ、良識を信用しなければ失礼だろう……が、結局、収穫祭の昼食に飲物としてビールや酒を出すことを控えた。
だから、スタッフも昼食にビールを飲んではいけないのである。
昼食も済んで、最後の後片付けをしていたところ、棚田オーナーが一組戻って来た。西御影の青年たちのグループだ。
帰る途中で、今日穫れた玄米をコイン精米機にかけたら、精米機の内部でくずれて団子状になり、詰ってしまって機械が動かなくなった、出て来た米も駄目になっていた、と言う。見せて貰うと、米はぼろぼろにくずれて粉状になっていた。
西御影のグループは、次の日曜日にある弓絃羽(ゆづるは)神社の祭礼に、収穫した米でおにぎりを作って振舞う段取りをしていた。あちゃー、これ、あかん、どうしよう、という事で、とりあえず戻ってきてくれた訳だ。
最初は、コイン精米機の問題かもしれない、とも考えた。しかし、スタッフの家にある精米機で搗いてみたり、水分計にかけてみたりした結果、玄米の水分が多すぎるという結論に達した。
急いで全てのオーナーに連絡を試みたところ、一組だけ電話が繋がって、岩座神に引き返してくれた。
そうこうするうちに、もう一組、西御影のグループと同じように、帰り道でコイン精米所に寄って、同じような結果になった人たちが岩座神に戻って来てくれた。
結局、クライン・ガルテンのオーナーさんを含めて、三組分の玄米を回収して、正常な水分の玄米と取り替えることが出来た。
写真は、古い型の乾燥機を引っ張り出してきて、回収した玄米を、火は焚かずに送風だけで乾燥することが出来ないかどうか、試しているところだ。
午後五時、一服して、やっとビールにもありついて、対応方針を確認しているところだ。
とりあえずの対応として、全てのオーナーに代替の玄米を送ることに決めた。そして、持ち帰ってもらった収穫分の玄米については、返して貰うことはせず、オーナーの側で処分して貰うことにした。
また、今後の事として、天日干しして脱穀した籾をそのまま籾摺りするという今までのやり方を再検討することにした。
写真は、代替として発送する玄米を準備するために、計量しているところだ。
「こら。あたなりが悪い(本当に恰好が悪い)、こんなとこ写真に撮らんでもええ」とか言われた。
既にショックから立ち直っている。
午後七時から反省会(慰労会)。
急遽、Acoop(JAのスーパー)で鶏肉やらウィンナー・ソーセージやらを仕入れてきて、ホット・プレートで焼いて食いながら、あれこれと談義を重ねた。
収穫祭の運営については、今までのやり方を改める方が良いだろう、という話をした。稲木干しした稲をコンバインで脱穀する、そこまでは今までどおりで良いが、そのまま籾摺りするのではなく、念のために一旦は乾燥機に入れて、水分を調整してから籾摺りをしよう、という事だ。そうすると、収穫祭当日には玄米を持って帰ってもらえないが、今回のようなトラブルは無くなる。また、籾摺りの完了を待たなくても良いので、収穫祭の昼食の「おあづけ」もしなくて済む。
棚田オーナーの行事にアルコールを出すことの是非についても、明確な結論は出なかったように思うが、改めて話をした。
もう一つ、そういういろんな事も含めて、棚田オーナーを招いて「夜なべ談義」をしよう、という話をした。オーナー制度を始めてちょうど十年になるし、トラブルが生じたことを逆手にとって、コミュニケーションを深めるチャンスにしよう、という事だ。
午後九時、焼くものが無くなったので、後片付けをしたのだが、まだ何かテーブルを囲んで話をしている。
楽しそうだが、もう、この頃になると、何を話していたのか、覚えていない。
この後、家に帰って、ばたんきゅうで寝ていた。