棚田オーナー収穫祭(続き)
収穫祭が終って、棚田オーナーたちも三々五々帰って行った後の、午後二時半ごろの公会堂の裏手。
これは「反省会」ではない。スタッフの昼食だ。
籾摺り作業が手間取ったために、行事の進行を優先した結果、この時間になってしまった。
もうひとつ、この写真には缶ビールが写っていないことに注目して欲しい。
この収穫祭には、ビールや酒を出さなかった。先日の稲刈り・棚田の集いの時には、「運転する人には売りません」という貼紙をして、ビールや酒を販売したのだが、今回は、アルコール類を一切出さなかった。
スタッフの間では、酒を出すべきだという意見も多かった……酒を飲むことは悪くない、酒を飲んで車を運転することが悪い。酒を飲むことが出来る人には酒を出してあげたい。飲酒を強要する訳ではない、「運転する人は飲むな」と言っている。相手は大人だ、良識を信用しなければ失礼だろう……が、結局、収穫祭の昼食に飲物としてビールや酒を出すことを控えた。
だから、スタッフも昼食にビールを飲んではいけないのである。
昼食も済んで、最後の後片付けをしていたところ、棚田オーナーが一組戻って来た。西御影の青年たちのグループだ。
帰る途中で、今日穫れた玄米をコイン精米機にかけたら、精米機の内部でくずれて団子状になり、詰ってしまって機械が動かなくなった、出て来た米も駄目になっていた、と言う。見せて貰うと、米はぼろぼろにくずれて粉状になっていた。
西御影のグループは、次の日曜日にある弓絃羽(ゆづるは)神社の祭礼に、収穫した米でおにぎりを作って振舞う段取りをしていた。あちゃー、これ、あかん、どうしよう、という事で、とりあえず戻ってきてくれた訳だ。
最初は、コイン精米機の問題かもしれない、とも考えた。しかし、スタッフの家にある精米機で搗いてみたり、水分計にかけてみたりした結果、玄米の水分が多すぎるという結論に達した。
急いで全てのオーナーに連絡を試みたところ、一組だけ電話が繋がって、岩座神に引き返してくれた。
そうこうするうちに、もう一組、西御影のグループと同じように、帰り道でコイン精米所に寄って、同じような結果になった人たちが岩座神に戻って来てくれた。
結局、クライン・ガルテンのオーナーさんを含めて、三組分の玄米を回収して、正常な水分の玄米と取り替えることが出来た。
写真は、古い型の乾燥機を引っ張り出してきて、回収した玄米を、火は焚かずに送風だけで乾燥することが出来ないかどうか、試しているところだ。
午後五時、一服して、やっとビールにもありついて、対応方針を確認しているところだ。
とりあえずの対応として、全てのオーナーに代替の玄米を送ることに決めた。そして、持ち帰ってもらった収穫分の玄米については、返して貰うことはせず、オーナーの側で処分して貰うことにした。
また、今後の事として、天日干しして脱穀した籾をそのまま籾摺りするという今までのやり方を再検討することにした。
写真は、代替として発送する玄米を準備するために、計量しているところだ。
「こら。あたなりが悪い(本当に恰好が悪い)、こんなとこ写真に撮らんでもええ」とか言われた。
既にショックから立ち直っている。
午後七時から反省会(慰労会)。
急遽、Acoop(JAのスーパー)で鶏肉やらウィンナー・ソーセージやらを仕入れてきて、ホット・プレートで焼いて食いながら、あれこれと談義を重ねた。
収穫祭の運営については、今までのやり方を改める方が良いだろう、という話をした。稲木干しした稲をコンバインで脱穀する、そこまでは今までどおりで良いが、そのまま籾摺りするのではなく、念のために一旦は乾燥機に入れて、水分を調整してから籾摺りをしよう、という事だ。そうすると、収穫祭当日には玄米を持って帰ってもらえないが、今回のようなトラブルは無くなる。また、籾摺りの完了を待たなくても良いので、収穫祭の昼食の「おあづけ」もしなくて済む。
棚田オーナーの行事にアルコールを出すことの是非についても、明確な結論は出なかったように思うが、改めて話をした。
もう一つ、そういういろんな事も含めて、棚田オーナーを招いて「夜なべ談義」をしよう、という話をした。オーナー制度を始めてちょうど十年になるし、トラブルが生じたことを逆手にとって、コミュニケーションを深めるチャンスにしよう、という事だ。
午後九時、焼くものが無くなったので、後片付けをしたのだが、まだ何かテーブルを囲んで話をしている。
楽しそうだが、もう、この頃になると、何を話していたのか、覚えていない。
この後、家に帰って、ばたんきゅうで寝ていた。